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出会い

モランさんの気になるあの子を読んで、タマサブローと初めて会ったときのことを思い出した。メモ帳にも書いてないから正確には何年前のことか分からないんだけれど、昨日は少し暖かい雨が降ったのに、今日はまた乾いた冷たい風が吹くみたいな、そんな春のころ。アパートの階段の下に一株だけ植えられている沈丁花の香りをくんくん嗅いでいる猫がいた。ほぉ~、あんた、春の香りをどんな気分でその胸に吸い込んでるの?声をかけたら、「にゃっ」と応えて一緒に階段を上って来る。へー、首が太くてキンタマもブリブリして三白眼で耳の端っこが千切れてるいかにも百戦錬磨のオトコだけど、沈丁花の香りを愛で季節を感じる風流を知ってる上に、意外に人懐こいんだ?玄関に入ってきたと思ったらうずくまって目をつぶったときにはほんと驚いた。戦い続けた体と心を休めたかったのかね?

玄関でご飯を食べるようになり、すぐ翌週くらいにはベッドの足元で寝るようになった。こんな猫は初めてだった。大柄(当時は)なくせに小さな友達にご飯を譲ってしまうお人好しだった。人の腕枕で寝るようには見えなかったのに、間もなく朝まで一緒の布団で寝るようになった。

ケンカして噛まれたか爪で引っ掻かれたかして、膿んで顔が2倍くらい腫れて、情けない顔してわたしの腕に膿を擦り付けてきたとき、悩みに悩んで病院で去勢した。泣いて謝った。今でも、それがあんたにとって良かったのかどうか分からなくて、心が揺れ続けてるよ。なんて言っていいか分からないけど、ごめんね。だけど、大好きな気持ちは、きっと伝わってるよね。って言ったら、めっきり白髪の増えた顔で振り向いた。

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中途半端になってるけど、「猫肉食から考える」というテーマは、もちろんタマサブローとの関わりなくして出てこないものだ。それは、spitzibaraさんが時折書かれているテーマとどこかで繋がる。「いのち」の問題。人間は、人間の命とそれ以外の命を、どう自分の中で整理するのか。「整理」するという感覚が妥当なのかどうか。タマサブの目を見つめながら考えるのだけれど。わたしは、いま妥当だと思う。「ペット」という言葉に反発する人の気持ちもものすごく分かる。だけど、動物はほんとうに字義通りの「家族」なのかどうか。。。ん~~?人間の命と他の動物の命は、人間にとってほんとに同じ?飢餓で自らの命が消えようとするとき、犬と猫と牛と豚と鶏と人間と、まず何食べる?

「ペット」じゃないけれど、福島第一原発の避難区域で畜産業を営んでいた方々が肉牛を「処分」せざるを得なくなって涙を流す気持ちと、タマサブがわたしの目の前で天寿を全うしわようとするときの気持ちが、どこが同じでどこが違うのかな。もうちょっと、自分の中で考えたい。あれ。なんか、すっごい自分が冷酷な人のように思えてきたかも。。。。。。。。。。。

元記事 http://blogs.yahoo.co.jp/tonko_hard/51687313.html
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