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戸塚宿?藤沢宿(2)

さて、戸塚宿を後にして東海道は「大坂」と呼ばれる坂をがんがん登ります。傾斜はそれほどではありませんが、距離が長いので結構疲れました。登りきると国道1号と合流します。

06大坂よりの眺め
大坂からの眺め。意外に標高は高そうです。ここらへんは昔は尾根道歩きといった感じだったんでしょう。

07原宿一里塚
しばらく行くと一里塚があります。東海道を上って11番目の原宿一里塚です。日本橋から約43.2kmか?。

この後もひたすら国道1号線を歩きます。やっぱり車の騒音と排気ガスが苦痛ですが、「藤沢バイパス出口」という交差点でやっと国道と別れ、東海道は左の県道30号線となります。間もなく、長らく歩いてきた横浜市から藤沢市に入ります。ちなみにここまで現在の行政区分で言うと、東京都の中央区・港区・品川区、神奈川県の川崎市川崎区、横浜市鶴見区・神奈川区・西区・保土ヶ谷区・戸塚区、そして藤沢市と歩いてきたことになります。

県道30号は途中から傾斜のきつい下り坂となります。これが遊行寺坂です。

08遊行寺
坂を下りていくと右側に遊行寺の入り口があります。遊行寺は通称で、正式には藤沢山無量光院清浄光寺、時宗総本山の大寺院です。正中2年(1325年)開山と伝えられています。藤沢宿はこの遊行寺の門前町として栄えた町です。

ちなみに時宗は、わたしがきゅんと惹かれる仏教者である一遍さんの開いた宗派です。もっとも、一遍自身は宗派も教団も、寺院さえも作るつもりはなく、一遍とともに旅をした人々は「時宗」ではなく「時衆」と呼ばれていました。生涯を遊行というか漂泊のうちに過ごし、栄養失調のための入寂(臨終)に際しては「一代聖教皆尽きて南無阿弥陀仏に成り果てぬ」と自らの著作一切を燃やし、「我がなきがらは野に捨てけだものなどに施こせよ」と言い残した一遍さん。
「旅ころも 木の根 かやの根いづくにか 身の捨られぬ処あるべき」
「身を観ずれば水の泡 消ぬる後は人もなし 命を思へば月の影 出で入る息にぞ留まらぬ」
「生ずるは独り 死するも独り 共に住するといえど独り さすれば 共にはつるなき故なり」
「自力他力は初門のことなり 自他の位を打ち捨てて唯一念仏になるを他力とはいふなり」
徹底的に個人として生きた人とわたしは思うなり。そんな一遍さんの後継者たちが、教団を組織し立派な寺院を作ったという歴史には、なんと言うか、フクザツな気持ちになります。。。

一遍上人については、ずいぶん前に「死の自己決定権」書庫の記事でも触れています。
http://blogs.yahoo.co.jp/tonko_hard/46489071.html

?藤沢
戸塚宿?藤沢宿7.8km。日本橋から48.8km踏破。三条大橋まであと443.3km

戸塚宿?藤沢宿(1) ← 戸塚宿?藤沢宿(2) →藤沢宿?平塚宿

元記事 http://blogs.yahoo.co.jp/tonko_hard/51285790.html
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