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猫肉食から考える

■一時、犬肉を食べることの是非について話題になった。自分は犬は食べたいとは思わないけど、他国の食文化をとやかく言うのはいかがなものか。というのがわたしの感想だった。ま、フツーの感想だと思う。日本人だって豚でも牛でも食べてるわけだし。犬は可愛いし人間に馴れるし頭もいいから食べるななんて言われたら、可愛くなくて人間に馴れなくて頭が悪いと見なされた動物の立つ瀬が無かろう。鯨食べるなんて野蛮と言われて反発してる日本人が、犬食べちゃダメなんてとても言えないと思った。

ただ、即死させないで、逆さ吊りにして棒で叩いて十分に悲鳴を上げさせたほうが、つまりありていに言えばなぶり殺しにしたほうが犬肉は美味しいとか、そういう話を読むと、「食文化」って言葉に括弧をつけたくなる。魚の踊り食いとか、活け作りとか残酷だと言う人もいるし。それもそうかなとか思った。

■じゃ、猫は?

ふとした拍子に、ネットで猫肉食に関する写真をいくつも見て、自分がぐらついた。血まみれの猫の頭とか、毛を抜かれた猫とか、鍋で丸ごと煮られている猫とか。正直に言って冷静でいられなかった。もちろん、自分が猫好きで、ずっと猫と暮らしているからなんだけど。

※「猫食」とか「猫 肉」とかのキーワードで画像検索すると、写真はいっぱい出てきます。「猫 肉」で検索すると、ほとんど肉球の写真ばっかりですが。
※この記事は、ちょっとずつ付け足して行こうかなと思ってます。

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■自分の中で前提としていることを確認してみる。
(1)人間を含めて「生き物」は、他の「生き物」の「命」を奪い、体内に取り込むことなしに自らの「命」をつなぐことができない。
(2)「生き物」「命」と言っても、動物とそれ以外の生物(特に植物)を分けて考えている。動物以外には「殺生」という感覚も意識も無い。たとえばパンを焼いて食べても、麦を殺した、酵母を殺したという感覚は無い。
(3)動物と言っても、まず哺乳類、次に鳥類の生命とそれを食べるということは別格に感じている。爬虫類・両生類(両方食べたこと無いが)、次に魚類・甲殻類(海老・蟹の類)、またその次に貝類、昆虫類などに関しては、「殺生」の感覚は皆無ではないが希薄。
(4)哺乳類と言っても、人間とそれ以外を分けて考えている。
(5)つまり、人間から見た目や生態が遠くなるのに比例して、無意識に「命」に序列をつけている。

まずはここまで。
自分の意識・感覚が他の人とどこまで共通なのかを考えてみる。
(1)については、科学的にそういうことなんじゃないかと思う。
(2)については、古今東西ほとんどの人が共通するんじゃないかと想像する。ベジタリアンというのは動物は食べないけど植物は食べるわけで、「生き物」の「生命」を奪っているという意味では同じ。
(3)については、古今東西多数派の意識だと想像するが自信は無い。動物を愛玩するという習慣が人に与える影響は大きいと想像できるので、文化の違い・個々人の意識の違いは大きいかもしれない。
(4)については、やはり古今東西多数派の考え方だと想像するが、そう考えていないと思われる例がある。「神」または「神の使い」と見なしたり、その他の宗教上の理由で、ある種の生物を人間以上か人間と同等に扱う文化もある(ここは検証が必要)。また最近では、トランスヒューマニストの主張のように、子供と精神障碍者と大型類人猿を一括りにする思想も存在する。 ※参考 チンパンジーに法的権利認める(スペイン) spitzibaraさん
(5)については、これは自分だけなのか他の人もそうなのか、知りたいところ。

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■どこまで殺せるか?
踊り食いなど生きたまま食べる場合を除いて、動物を食べるにはその動物が自然死しているか、誰かが自分の代わりに殺しているか、自ら殺すかの3通りしかない。捕獲されて間もない魚介類などを除いて、自然死した動物を食べるのはつまり死肉を食べることであって、疫病などのリスクがあるため、人間の食文化としては一般的ではない。現代の日本では動物の屠殺・解体を職業的に行う専門家がいて、特に牛・豚・馬・羊などについては一般人がそれを行うことは「と畜場法」で制限されている。仮に、そうした専門業者がおらず、屠殺・解体を制限する法律もないとして、肉でも魚でも生きたまま自分で殺して食べなくてはいけないとしたら、わたしは何を殺せて、何を殺せないかを考えてみる。もちろん、遭難とか飢餓とかの非日常的・危機的な状況ではなく、今現在の日常生活を前提とする。

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■Y!風麺さんに反応をいただいている。とても興味深い。
http://blogs.yahoo.co.jp/pastatiga/27348910.html

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■で、どこまで殺せるか
昆虫その他の広い意味での虫はどうか。食べたいと思わないので、食べるために殺すことはないだろうが、殺すことに罪悪感はあまり感じない。しかし、これも害虫系とそれ以外とでは感覚が違う。ゴキブリ・蚊・ハエ・蛾・ムカデ・ナメクジ・毛虫・ヒル・ノミなどを潰したとき、罪悪感は感じないけど体液とか出て気色悪い。一方で、蝶・バッタ・カブトムシ・クワガタ・カマキリ・トンボなどは殺したくないし、死んでいるのを見るとなんとなく可哀想な気がする。蝉・蟻・蜘蛛などはその中間かな。同じ虫の命でも、自分の尺度でペットとして愛玩することが可能なものと、そうでないものに対する感覚がかなり違う。
こういう個人的な感覚の表明でも嫌悪感を持つ人がいるかも知れませんが、ここはわたしの場所なので、まだまだ行きます。

元記事 http://blogs.yahoo.co.jp/tonko_hard/51086790.html
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