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ネらやー

モランさんの記事「ノラや」を読む。を読んで。

新潟の婆ちゃんが(父方も母方も二人とも)、夏休みにわたしやいとこ達を遠くから呼ぶとき、「ネらやー」と言ってたのを思い出した。今から思うと、「ネ」=「なぁ」=「汝(なんじ)」なんではないかと。新潟弁は、京都から北陸沿いに伝わってきた言葉と、東北の言葉が混じり合ってるようなところがある。「ネ」もきっと京都から北上したんじゃないかな。あと、「○○だから」という意味の「○○だぁすけ」という言い方は、「○○やさかい」が関東?東北の言葉と合体したんじゃないかと想像する。「恥ずかしい」を意味する「しょおすぃ」は東北由来かな?わかんないけど、そんな気がする。

モランさんの記事の内容に全然関係なくて、申し訳ない。。。

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関係ないついでに。
わたりとりさんのつる。つれづれ。ずらずら。#13を読んで。

そっか。わたしの使う語彙としての「愛」は「偏愛」だわ。少なくとも「博愛」じゃない。「博愛」ってよく分からない。よく「自由・平等・博愛」って言うけど、「自由」「平等」はそれなりに分かるのに、一緒に並んでる「博愛」だけ分からない。自分の内から「博愛」を求める気持ちってのが沸き起こってこない。

偏愛の片鱗すら手が届かない者からしたら、「わたしにとってかけがえのないあなた」がわたしにとって何より尊い、死なせてたまるか殺されてたまるか、わたしのこの想いの行き先としての『あなたの命』は尊い、とはっきり言う人の、その心情と意思と表現は、眩しいのよねえ。
まあでも、その表現は、その表現に触れた者に「では、私のことをそのように愛してくれる人はいるか。いないならば、『私の命』に尊さはあるのか」という、不毛な問いを突き付けるんですがね。

ん?。。これはグサっときた。「かけがえのないあなた」みたいな言い方を自分自身がよくするから。グサっときたけど、どうしていいか分からない。。。
ただ、他者に愛されているか否かとは無関係に、自尊感情というものはある。
あ、自尊感情が極端に低下して、自分自身の尊厳を認められず、自分の心や身体そして命を大事に扱うことが出来なくなっている人にとっては、友情であれ、恋愛感情であれ、肉親の情であれ、「偏愛」を注がれることは、えーと、どうなんだろう。。。?酔っ払ってきた。ダメだこりゃ。

元記事 http://blogs.yahoo.co.jp/tonko_hard/50900546.html
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