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「読解しづらい文章」で言いたかったこと

読解しづらい文章の補足です。トリコちゃんがコメントと記事を書いてくれているのでそれを受けて。とは言っても、やはり自分の読解力の不足から、トリコちゃんの文意を十分にはつかめていないと思う。相手がトリコちゃんに限らず、他の方が書いていることを100%理解しきったと自信を持って感じることはめったに無いのです。。。

トリコちゃんが書いてる、「小学校もいけなかったお母さんが残していた日記を子供さんが一字一句違えずにBlogに載せたもの」に触れたときに受けた感動に共通する体験は、このブログの出発点として自分を表現する喜びで記事にしている。もう4年前のことです。時間が経つのは早いな。。。文章を書く力というのは、文章の技術的な側面(豊富な語彙、正確な文法、修辞の知識など)と、表現したい・伝えたい・とにかく書きたいというパッションという二つの側面があると思っています。そして、自分が誰かの文章を読むときにどちらの側面により重きを置く(無意識に)のかと言えば、はっきり後者です。巧拙という技術的な意味に限定されない、文章の【力】というのがある。もちろんパッションだけじゃだめです。極端な話、字を書くという最低限の技術が無ければ文章が書けませんから。で。技術が未熟でも胸に迫ってくる文章というのはあるし、文章術は冴えているのに空虚な文章だと感じるものもあります。これはわたしが音楽や美術に接する時とまったく同じです。たとえば無人島に1枚のCDしか持って行けないとしたら、イングヴェイ・マルムスティーンじゃなくてポール・コゾフを選びます。

「読解しづらい文章」という記事は、上記のことを前提にした上で、パッション一発勝負ではなく、不特定多数の読者にある程度正確に理解されることを期待した、抽象的な概念を語るような文章であれば、喩え話を多用したり入り組んだ修辞を使わずに、推敲に推敲を重ねた極力シンプルな文章が望ましいのじゃないかと、そういうわたし自身の意見を書いたものです。今まで、自分の読解力について何度か触れてきましたが、「読解力」ということ自体が、習熟することによって獲得できるレベルのことと、一種の「障碍」として扱わなくてはいけないレベルのものがあるのではないかと思っています。その境目はよく分からないのですが。

元記事 http://blogs.yahoo.co.jp/tonko_hard/50196324.html
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