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選ばないことを選ぶ

選ばないことを選び、生きられるだけ生きる Ashley事件から生命倫理を考える

またまたspitzibaraさんの記事に触発されてしまいました。紹介されていた「Choosing Not to Choose──選ばないことを選ぶ」という言葉はいいな?と。「死の自己決定権」という書庫で「選ばないことを選ぶ」というのもおかしいかもしれませんが。ブログを始める以前のことですが、実は一度死を意識したことがあります。そのとき色んなことを考えましたが、これから様々な選択をしなくてはならないと思うとものすごく面倒くさく感じました。

咳と微熱とだるさがずっと続き体重も落ちてきたので、近所の病院でレントゲンをとって診てもらったら、お医者さんにいきなり真剣な顔で「大学病院を紹介しますから精密検査をしてください」と言われました。何の病気の疑いがあるのか尋ねると、ガンということでした。前年に近しい人がガンを発病し、亡くなるまでの一部始終を見ていたので、ガンと聞いて体中の力が抜けてヘナヘナになりました。

ガンだと言われると、どうしても「死」を考えます。まだ死ぬには若すぎる、悔しい。まだまだやりたいことが山ほどあるのに。行きたい場所も読みたい本も聴きたい音楽もたくさんあるのに。気持ちはどんどん先走って、あと何ヶ月とか言われたら、やるべきことのリストを作って、体力的に許される順番を考えて選択しなくちゃとか、身辺整理しなくちゃとか。それから、病気の進行と、治療の選択によっては副作用もあるので、それも考慮に入れとかなくちゃとか。

2週間ほどの間に何度か大学病院に通って精密検査をしましたが、結局ガンというのは誤診で、今もこの通り無事でいます。全く笑い話です。でも、この経験は自分にとって良いものだったと後で思うようになりました。普段は意識しない自分の「死」を考えることができたから。特にガンのように、発病してからも基本的に意識がはっきりしていて、死ぬまでに自分で色々選択しなくてはならないのは非常に面倒くさいと思ったのは意外でした。なんでも細かく計画立てる質なのでよけいかもしれません。死に至るまでのプランを考えるというのも笑っちゃいます。結局どうしたって死ぬんだから、死んでしまえばそれまでだから、あくせく考えたってしょうがないです。

       ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※

話は変わりますが。

自己決定権。これは大事なことだと思っています。死にあたってもそう。誤解を恐れずに言えば、積極的なものであっても消極的なものであっても「自から死を選ぶ」ということも尊重したいと思っています。「死の自己決定権」(2)でもそう書きました。その上で、「死の自己決定権」(3)で書いたように、「わたしたちの社会が果たすべき機能の順番としては、不幸・苦悩・苦痛、孤独・疎外を取り除くことが優先されるべき」だとも思います。ガン患者の「安楽死・尊厳死」という選択について、ガン患者のその気持ちに寄り添って考えなくてはならないけれども、緩和ケアをもっと向上・充実させることを優先すべきだと思う。そして、2004?2006年警察署別自殺者数のうち、被雇用者の自殺者数トップだったのが愛知県豊田署であることを知ったなら、世界に冠たるトヨタで働く派遣社員・期間工そして正規社員が、追い詰められて死を選ぶことのないように、【わたしたち】は【わたしたち】の社会を変えていかなくてはならないと思う。

★参考 自殺実態白書 NPO法人自殺対策支援センター ライフリンク
http://www.lifelink.or.jp/hp/whitepaper.html

元記事 http://blogs.yahoo.co.jp/tonko_hard/47722728.html
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