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ひらひらきらり

ある場所で見かけた1994年発行の古い冊子『くらしと教育をつなぐ We』。パラパラめくって読んでいたら、中畝治子さんという方の書かれた「祥太の時間」という一文に魅かれて入手しました。いつも読ませていただいているspitzibaraさんの言葉と重なるような気がして。

 私の長男、祥太は脳性小児麻痺による四肢体幹機能障害、難治性てんかん、身体的にも、知的にも最重度の障害児です。寝たきりで、座ることすらできません。食事から排泄まで、全面介助を必要とします。呼吸も食べるのも下手です。


この当時祥太君は10歳。中畝さんは、子どもが重い障碍を持つことに関しての苦悩や葛藤、そして少しずつ「自分を縛っていたものから自由になって」いく様子を綴られています。

 祥太を抱いていると、私も、家の中も、祥太の時間、祥太のリズムになっていきます。何かをしなくては、させなくてはと動いてしまいがちの自分がふっと消えて、普段自分が背負っている諸々のものの意味がなくなっていく深いやすらぎの時間です。抱いているはずの私のほうが祥太の世界に包まれているようです。
 祥太は自分の身の周りのすべてのことを周囲の人に託することによって、私たちに生きることのいろいろな意味を突きつけているように思います。ときどき、この人ほど、完璧な存在感を持つ人はいないのではないかとさえ感じさせられます。この人はこれから先ずっとすべてを人に託して生きていくのだなと思うと、それがすごいことのように思えて、胸が熱くなります。
(中略)
 人々が多様な価値観を持ち、それを認め合えれば、障害を持った人も含めて、より多くの人が生きやすい社会になると思います。障害を持った子どもを育てることも、決して困難なことではなくなるでしょう。人が気づかないような大切なメッセージを送ってくれる障害児。彼らは共に生きているからこそ私たちにメッセージを送ることができる。だからこそ、彼らが生きることを拒否して欲しくないと思うのです。


「いのち」とか、「生きること」とか、自分の頭の中だけでグルグル考えていてもたどりつけない大切なことが示されているように思えて、こういう文章に出会うと、とてもうれしいです。

「祥太の時間」の末尾に「日本画家」とあったので検索してみたら、なかうねギャラリーというサイトを見つけました。中畝さんご夫婦二人とも絵を描いていらっしゃるようです。そして、このサイトで祥太君が2002年に17歳で亡くなっていたことも知りました。作品集にある「ありがとう祥太 2002.4.15 17才」を見ていたら、静かに静かに涙があふれてきました。

私には中畝治子さんが描くミッチーくんのなかに、祥太くんは生きていると思えてならない。ミッチーくんが通ると風がうたう。木の葉がひらひら舞う。星がきらりとひかる。祥太くんはオノマトペの精ミッチーとして生きつづけ、歩きつづける。そしていま、ミッチーくんは本という翼に乗って旅立とうとしている。
祥太くんへ


『ミッチーのことばあそび ひらひらきらり 擬音語・擬態語 1・2・3 』という絵本が、ものすごく読みたくなりました。買っちゃおうっと。

元記事 http://blogs.yahoo.co.jp/tonko_hard/47547483.html
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