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わたりとりさんとの対話(3)

■わたりとり
【2009/3/14(土) 午前 2:11】
少し長いお返事になります。お付き合いいただければ幸いです。

私の「絶望、か。便利な言葉だな」という一言メッセージを起点に、トンコさんにたいへん苦しい想いをさせているらしいことは、この一言メッセージを置いた後トンコさんのブログに訪問したときから解っていました。

これから書くことはお詫びとしての釈明ではありません。これまでの交流を私が大切に思っているうえでの、トンコさんへの私信と捉えていただければ嬉しいです。私信ではあるが、公開されてもかまいません。

【2009/3/14(土) 午前 2:12】
一言メッセージ「絶望、か。便利な言葉だな」は、トンコさんの記事に向けたものではありませんでした。まったく別の場所にあった「絶望」という言葉の使い方へのカウンターです。発信者は私のブログを読んでいる可能性の無い人です。
私個人の使用感度なのだが、「絶望」とは私にとっては、希望が失われたという平易な状態ではなく、無期限で活動を停止した精神状態、つまり「生きていない精神」「死んだも同然の精神」という意味です。その言葉を、自分の希望に沿わない態度を表明する他者に向かって放つ、そういう表現を見た。
他者を動かすことが叶わない自身の失望感を直視せずに、「絶望」という言葉に宿る救いようの無い響きを利用して、諸悪の因は他者の精神のありように在ると述べる。まして他者の精神を「生きていない」などと。
便利な言葉だ、という物言いは軽い揶揄に見えたかもしれないが、私の内心にあったものは怒りでした。

【2009/3/14(土) 午前 2:12】
一言メッセを置いた後トンコさんのブログに訪問したさい、そちらの一言メッセが私宛らしいことはすぐ解りました。「吐き捨て型」のメッセを自分のブログのトップに置く人は稀でしょうから(笑)
一呼吸「?」となって、トンコさんの数日前の記事に「絶望」という表現があったことを思い出し、「ああしまった」と思った。忘れていたんですよ、すっかり。・・・我ながらマヌケです。

「絶望」としか言い表しようのない極限の精神状態はあるだろうと思います(私は経験したことがないけれども)。トンコさんの記事は、まさしく、そういう極限の状態に追い込まれたのであろう人に想いを寄せたものだと思います。真に人間らしい共感の発露だと思います。
私自身は共感という情動に乏しいけれども、そういった共感のありようをけして軽んじてはいないし、それを表現するかたを貶めることもしません。誠実な感情を他人から軽薄に侮蔑されたとき、人がどのような痛手を受けるかを、私は知らない者ではありません。

【2009/3/14(土) 午前 2:13】
ですから、トンコさんに苦しい想いをさせたことは十分解っていたのですが・・・が。
率直に言います。トンコさんの反応を見て、この件は誤解ではあるけれども、このままトンコさんがこちらへの訪問を打ち切るならば、それはそれで良いことだと感じたのです。

ひとつは、トンコさんが仰ったとおりのことです。今回の件で誤解を解いたとしても、私が一言メッセをこれまでどおり使う以上は、問題の先送りにしかならない。ならばここまで、と割り切ったほうが互いにとって良いのではと感じました。これが三割くらいかな。

残りの七割は、あー・・・上手く伝えられるか自信が無いのだけれども。
いつ頃からかな、私とトンコさんが書きたいことは大きく方向性を違えた、今後はますます大きく開いていくだろう、すでに「分岐点」を過ぎた、と感じていました。
http://blogs.yahoo.co.jp/tonko_hard/23671697.html

【2009/3/14(土) 午前 2:13】
私はトンコさんの記事が好きですよ。どこがどうと一言では括れないけれども。文章が上手いとかどうとかいうことではなく(いや、上手いと思っていますけど、それだけではなく)、トンコさんの文章には、なんというかな・・・人と人との関わりあいに幅広く深く精神をふるわせる豊かな情動と、人と社会との関わりあいにまっすぐに向き合う晴れやかな正義感と、両方を感じます。そのどちらも、私には欠けているものです。

私が書くことは、突き詰めていけば、私のこの欠損から生まれたものがほとんどです。最近は欠損そのものを書くことも増えてきた。
私は、私自身を含めた人の欠落や弱さやを徹底的に肯定する地点から表現を発する。それは副次的に、自分自身の弱さを許せないがゆえに他者の弱さをさらに許すことのできない峻酷な精神を、過たず撃つことがある。私の文章が外に向かって価値を有するのは、その点においてのみです。そこを除いては、私の書くことは常に、私ひとりにとってしか価値がありません。

【2009/3/14(土) 午前 2:14】
私が抱えている欠落を持たず、私ほどは弱くはなく、あるいは自らの努力でそこを克服できる人で、なおかつ自分は強くあるとしても他者の弱さをゆるし寄り添うことのできる人。そういうかたにとって、私の文章は、無用です。そういったかたがたにとって、私の文章はむしろ毒になります。そのかたの正しく直やかな意思を鈍らせたり、自ら疑わせたりするからです。

トンコさんにとって、私の文章は無用です。毒になりかけているかもしれない、と私は感じます。
意義深い交流がもういちどできる時が来るなら、それは私の人格がもっとずっとマシになっているときかもしれませんね。そんな時が来るのかどうか、ぜんぜん自信ないけど(笑)

トンコさんと言葉を交わす機会がぐっと減る(あるいは無くなる)ことは寂しいですが、私のいまの気持ちは、2006年にそちらにコメントしたとおりです。思ったより早く来たな、という点は、意外だったかな。
>「表現すること」を書き続けていったとき、どこかで(おそらく終盤で)、私とあなたの道は大きく分岐しそうな気がします。なんとなくね。そんな日が来たら、私は嬉しいですよ

■トンコ
【2009/3/14(土) 午後 7:11】
「絶望」もわたしの勘違いだったのですね。。。

わたりとりさんの記事、とりわけご自身の精神の在り方・動き方を対象化し続ける記事群は、どこか「行」(ぎょう)のようで、わたしなどが読むと時に息を呑むほどに緊張しますが、それはこれまで他では得難いものをわたしにもたらしてくれました。わたりとりさんの記事が読めなくなる損失。一言メッセージなどで悩乱する恐ろしさ。これをなんとか両方とも避けることはできないかと考えました。で、今まで良く理解できなくて使ったことがなかったのですが、RSSを登録してみました。これで記事だけは読めるようになったはずです。

【2009/3/14(土) 午後 7:28】
わたりとりさんの仰る「毒」ということを意識していませんでしたが、その「毒」がもし回るように感じたらRSSを解除すればよいと思いました。大騒ぎした割には、技術的に解決してしまってすみません。。。

いずれにしても、これまでのように目に見える形での交流はほとんどなくなるでしょう。わたし自身は今現在「分岐」とはっきり考えていませんが、後から思うかもしれません。またRSS解除するときが来たら、それは静かに行うつもりです。だから、あらかじめ今、ゲバラの真似をして、わたりとりさんに感謝を込めて握手と抱擁とを送ります。

元記事 http://blogs.yahoo.co.jp/tonko_hard/47068516.html
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