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わたりとりさんとの対話(2)

■わたりとり
【2009/3/11(水) 午前 1:18】
>公開の範囲・方法については全て終了後にあらためて話し合う
了解しました。トンコさんの意向に全面的に沿うつもりですが、相談したうえでが良いならそれでOKです。

では、私の釈明を始めるということで^^;。
これから書くことで、トンコさんに対してネガティブに響いた部分がもしあれば、指摘してください。私側としては否定的な思念はまったく無い(つもり)なのだが、簡潔に書くことで、上から目線で一方的に評論しているように受け取られるかもしれない、とは予測します。そのように響いたなら、私の文章のマズさということで御容赦ください。すみません。

【2009/3/11(水) 午前 1:18】
トンコさんの「死の自己決定権」論考は、興味深く読んでいます。私が「尊厳死」についてどう考えるかはいったん保留して、トンコさんの論考のスタンスに共感しています。
(私が「尊厳死」について自分の態度を明らかにできない理由は、いまは割愛します)
トンコさんの論考は、(便宜上、番号を打ちます。失礼)
(1)個人の死生観と、医療・法制度の基底として敷かれる生死峻別の思潮とを、意識的に立て別けてられている。
(2)個人それぞれの死生観とその発露を、たんなる「思想(イデオロギー)」ではなく、個人の尊厳の領域に位置づけて尊重されている。
(3)そのうえで、個人の死生観の発露が制度設計と無関係ではないことを踏まえ、個と集の接合点も含めて考察しようとされている。
と、私は読みました。逐次引用はしませんが、記事とコメントのやりとり全体から、また印象的ないくつかの文章から、そのように読み取りました。

【2009/3/11(水) 午前 1:20】
「尊厳死」問題について、私は数か月ほど前に、はてなの複数のブログでそこそこの分量を(議論を含め)読んでいました。が、私にはどうにも腑に落ちないところが多かった。
トンコさんの論考に触れてわかったのだが、はてなの議論は、私にとっては、あくまでも『集』を対象にした言論でした。諸個人それぞれの尊厳に寄り添うためのものではなく、より毀損されやすい集団の側に寄り添うための言論、ということです。正しいとは思うが、そこから弾き出された者の死生観は「欺瞞くさいイデオロギー」の構成分子と見做されている(と私が感じた)点が、不審でした。

【2009/3/11(水) 午前 1:20】
トンコさんの記事「追記読みました」で
>他の方がこの件に関して曲解に基づくとしか思えない論評をされている
と書かれていた、あれは私のはてなハイクでの発言を指してのものですね(私の感違いならば、遠慮なく言ってください)。
私のはてなハイクでの発言は、トンコさんの記事群を論評したものではありません。私が数か月前に先行して読んでいた記事群、私が「レス」する形で言及したかたの文章の一部分、それから、あそこを読んでいるであろう(私とトンコさんのYahoo!ブログを起点とする交流ネットワークとは全く別の)ブロガーのかたがたに向けたものです。

【2009/3/11(水) 午後 6:44】
ただ、はてなの議論についても、私が読んだ範囲は限定的で時系列も崩れていますから、論者の主張と思想を私がしっかり読めているか自信はありません。速読という読み方でしたから、誤読もあるだろうと思います。私が読みたいように読んで、私ひとりがそう感じて、あの場であのように発言した、というだけのことですね。それでも、意外なかたからコメントいただいたので、発言して良かったと思っています。

とりあえず、そちらのゲストブックに内緒投稿してお話したかったことは、以上です。ここから先、何を話したり話さなかったりするかは、トンコさんにお任せしますよ。

■トンコ
【2009/3/12(木) 午前 0:14】
拝読いたしました。
今日はちょっとリアルで色々あって頭がまとまらないのと、別件で想定外の事態が起きていることを知らされて混乱しているので、明日以降、あらためて書き込みいたします。以上よろしくお願いいたします

■わたりとり
【2009/3/12(木) 午前 0:23】
了解。リアル優先でどうぞ。日が開いてもよいですよ。
私が待つことについては、なにも気になさらないでくださいな。

■トンコ
【2009/3/13(金) 午前 0:58】
こんばんは。

>簡潔に書くことで、上から目線で一方的に?
例えばエッセイより論文の方が理解しやすい質なので、簡潔なほうがむしろありがたいです。

(1)?(3)のまとめについて。「個と集」という用語がまだよく分らないので、その点は保留ですが、それ以外は今回のわたしの考察のスタンスを正確に読み取っていただいていると感じました。

>あれは私のはてなハイクでの発言を指してのものですね
その通りです。わたしと○○さんとの対話に対する論評をされていると思っていました。それが完全な勘違いだったことについて了解しました。勘違いの結果、わたりとりさんに苦痛を与えるような文章をアップしたこと、大変申し訳ありませんでした。

【2009/3/13(金) 午前 1:13】
この際ですから、この間のわたしの思いについてお伝えしたいと思います。

1月のことですが、わたしが「ガザ/プリーモ・レーヴィ」という記事をアップした後、わたりとりさんの一言メッセージに「絶望か。便利な言葉だな」と書かれているのを見ました。わたしの記事で「絶望」という語を使っていたので、直感的に自分のことを言われていると思いました。そして、自分が決定的に軽んじられ侮蔑されていると感じました。今までの数年間の交流を思うと、多少ギクシャクすることはあったとしてもそれはどなたとの間でもあることで、わたりとりさんにそこまで軽侮されているとは思ってもみませんでした。晴天の霹靂でした。体調が悪かったこともあり、猫と一緒に嘔吐してしまいました。
続きます。

【2009/3/13(金) 午前 1:40】
その後、自分の「勘違い」ということも考えられるとは思いました。(まさに今回勘違いしたわけですが。。)しかし、勘違いを考慮しても、その一言メッセージがわたしも含めてわたりとりさんの読者を撃つことを、わたりとりさんご自身は承知していただろうと思いました。宛名のない批判・非難は、散弾銃をぶっ放すようなもので、狙った相手以外の、周囲のものにも弾があたることを、わたりとりさんなら十分予想していたはずだと思い至りました。
続きます。

【2009/3/13(金) 午前 1:41】
以前、わたりとりさんが、「自分にとって一言メッセージはどのように使おうとよい場所と決めている」という意味のことを書かれていたことを考え合わせると、それがわたしに向けたものであってもなくても、わたしにとってはストレスになることに変わりはないと思いました。そのときに書いたのが「猫の具合が悪い/自分の具合も悪い」という記事です。
自分の神経がヤワでストレスに弱く、また勘違いしやすい質であるという条件と、わたりとりさんが一言メッセージで宛名のないメッセージを書く自由を保持しているという条件、その二つが揃っている限り、わたしにはこちらに訪問しないという選択肢を選ばざるを得ないと判断しました。
その後、実際に訪問は手控えていたのですが、「死の自己決定権」に関するナイジェルさんのはてなハイク経由で、わたりとりさんのはてなハイクを目にしてしまい、今回の事態となりました。
続きます。

【2009/3/13(金) 午前 1:51】
わたしにとって、「カピタル」は大好きな作品だし、他のわたりとりさんの多くの記事も、様々な知見と刺激とをもたらしてくれるものでした。新しくわたりとりさんが書かれるものを読めないのは、残念で残念で仕方がないのですが、宛名のない批判は確実にわたしを疲弊させます。そんなわけで、やはりお別れをしなくてはならないと思っています。
これまで良いものを読ませていただき、それがわたしの血となり肉となってきたことをご報告するとともに、あらためて今までのご交誼にお礼を申し上げます。ありがとうございました。

元記事 http://blogs.yahoo.co.jp/tonko_hard/47068164.html
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