Entries

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

番外編?打ち止め?

伝わらないものは伝わらない。少なくとも今は何をやっても伝わらない。

議論・対話→相互浸透を通じた相互理解への長い道のりの、その入り口である情報・意思の伝達ですら、様々なこと(特に主体的条件)が妨げになって簡単には行かない。もどかしい。もどかしく感じたり、焦ったりする自分を省みて、「我執」ということがチラリと頭をよぎった。よぎったが、「我執を捨て去る」なんていう抹香臭い言葉で、他者との対話一般に淡白になるのは、なんでも簡単にあきらめてしまうのは、どうしても嫌だ。「10000回だめでへとへとになっても、10001回目は何か変わるかもしれない」(byドリカム!)って思いたい。でもとにかく今はだめというのは分った。

自分と相手の言説双方を振り返って思うのは、「議論にしない」、「批判しない」というのはとても難しいということ。一方の論に反応した場合、相手の言説に一切価値判断をしないで、異なる論を提示するというのは相当の力が要りそうだ。「傲慢」、「無知」といった言葉遣いが相手を傷つけるといったことはさておき、そういったマイナスの評価を与えるということは、マイナスの状態を脱することを自ずと求めていることに他ならない。つまり「こっちに来い」ということだ。議論しない・批判じゃない(「こっちに来なくていい」)と言いながら、「こっちに来い」と言うのでは対話はかみ合わない。今後「死の自己決定権」に限らず、論考を出していくときにそこら辺をどのように整理したらよいか宿題になると思った。
※そういったことに思い至った経験がお有りの方がいらっしゃったら、ご助言をいただければありがたいと思います。

ボタンの掛け違い番外編?「あなた」へ?で扱った件については、わたし自身はこれで打ち止めにします。特段の事情がない限り、この書庫で特定の方を念頭に記事をあげることはしないつもりです。対象となった方には、ご迷惑やご心痛をおかけしたことと思います。申し訳ありませんでした。そちらのコメント欄にも書きましたが、わたしのほうは、困惑したり、もどかしく感じたりしたことはありましたが、不快感や嫌悪感などは一度も感じていません。文章も絵も写真も、そこからにじみ出るお人柄も、今でも好ましいと感じています。蛇足ながら書き記しておきます。お付き合いいただいてありがとうございました。

元記事 http://blogs.yahoo.co.jp/tonko_hard/46919946.html
スポンサーサイト

Appendix

訪問者数

とことんトンコです

最近のトラックバック

ブログ内検索

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。