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大阪レポート【7】釜ヶ崎(6)

釜ヶ崎レポートの最後に、時期はずれですが越冬パンフの中からみつくろってご紹介します。支援に来た人たちの感想もつづられています。わたしが釜ヶ崎や山谷で感じるのと同じような気持ち、やっぱりみんなもこみ上げてきたり心に宿ったりするんだなと思いました。

越冬1

越冬2
越冬3

■去年越冬にきて、今年も来ました。今年はいろいろ考えることが多くて。先進国といわれている日本で、餓死する人がいるということ。声をかけるときでも、その人のたちばにたって、どういうことばをかけたらいいか、いつも迷っています。
2006/12/26

■回っているとき、「ここで5年前亡くなったよ」「2週間前ここでたおれていたよ」と聞いて、いろんなことを思って、死が近くにある所だと思って...そういう所でも誇りをもって生きている人がいるんだなあと...明日、山口に帰るけど、ずっと忘れないでいたいと思います。
2006/12/28

■「話を聞いていたけど、初めて歩いてびっくりして...植え込みの中でうすい布団で寝ている人に声をかけたけど返事がなくて心配だけど...何ていったらいいのかわからないんです」と、支援の女性は、終わりのミーティングの時泣いていました。
2006/12/30

■4年前初めて越冬闘争のパトロールにきたとき、センターの下でひとりの人が亡くなられた。そのとき以来、何か気になってここに来ています。理由わからないけど、何か心の中にあって、今年も参加しました。来年小学校の先生になります。子どもたちに少しでも伝えていけたらと思います。
2007/1/3

■ベンチで毛布をかぶって泣いていた人が、「のどがかわいてお茶がのみたい」と言って、お茶をわたしたら、一気にのみほして、「これからどうしたらいいんや...」と。いっしょに医療センター前まで歩いて、布団しきのところで寝ました。いろいろ話きいたけど、何もできない、無力だなあと...手をにぎったら強くにぎりかえしてくれました。
2007/1/5

■去年初めて参加して、おにぎりをもっていったとき、寝ていたその人は起きて正座して「ありがとうございます」と頭を下げられました。何ともいえない...ぼくの方がすごいものをおくってもらったように感じました。もっともっと釜に来たいなあと。そして人にも自分が体験して感じたことを伝えたいと思いました。
2007/1/7

■"親から行くのを反対されたけど、自分自身で感じたい"と釜ヶ崎に来ていっしょにパトロールに参加した若い人もいました。いっしょに来た人が"2日間だけだったけど、親やまわりの人に、自分で見た、感じたことを伝えたい、話す勇気をもてるようにがんばっていきたい"と話していました。
2007/1/8

■下着や歯ぶらしやスリッパの入ったセットをわたしたら、その人は帽子で顔がかくれていたけど、手を差し上げるようにして、そのセットを受け取りました。泣いている声で「ありがたい、ありがたい」と言って、セットを毛布の中に入れて、手をさするようににぎってくれました。
2007/1/9

■みんなでパトロール回っているとき、ひとりの労働者が「いい仲間やなあ、がんばってや」と声をかけてくれて嬉しかった。また、「あったかいもん飲み」と、ひとりずつにコーヒーを買ってくれた人もあり、それから、カンパのお金を手渡してくれた人もありました。「明日は三角公園でモチつきやるよ」と声をかけてゆきました。
2008/1/1

越冬4


■大阪レポート・シリーズ
 大阪レポート【1】 イントロダクション
 大阪レポート【2】釜ヶ崎(1)
 大阪レポート【3】釜ヶ崎(2)
 大阪レポート【4】釜ヶ崎(3)
 大阪レポート【5】釜ヶ崎(4)
 大阪レポート【6】釜ヶ崎(5)
 大阪レポート【7】釜ヶ崎(6)
 大阪レポート【8】飛田遊郭
 大阪レポート【9】新世界
■関連記事
 野宿者と「生活の柄」

元記事 http://blogs.yahoo.co.jp/tonko_hard/44124141.html
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