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「共感」について

ちゃあじ子さんのブログテラ・インコグニタに出会うで「共同体感覚に関する対話」が続いており、興味深く読ませていただいております。うみわあおさんとちゃあじ子さんの「血も涙もないロボット女」というフレーズに食いついて、「仲間、仲間!」と笑ってしまいました。それはさておき、この対話でも「共感」ということについて触れられていましたが、わたしが少しモヤモヤと考えていたことを書いてみたくなりました。

自分がブログを書く第一次的な目的は、自分の書きたいこと・考えていること・思っていることをそのまま発信することです。論考などの「言論」よりのものでも、創作的な「表現」でも同じです。閲覧者からの反応は二次的なものだと思っています。反応はそういう意味で「望外の喜び」であり、「余禄」です、やっぱり。

「余禄」であることを前提にしますが、閲覧者の反応は気になるものです。ですから、「表現」は比較的自由にやれますが、特に論考の場合には「てにをは」(助詞)を適切に選ぶ、主語を明確にするなど、論旨が可能な限りストレートに伝わるように自分なりに努力はします。誤読は望ましくない。閲覧者にも論旨を過たず理解してほしいという願望はあります。でも、それは論旨の読解とその上での書かれたものへの論評(同意であっても批判であっても)を望むということであって、「わたし」という人格や、書かれていることの背景への理解や共感を求めるということとイコールではない。そこまで閲覧者に要求したくないのです。

お互いに時間をかけて継続して記事を読み、コメントを交わし合うことで、記事単体や記事中のワンフレーズに左右されずある程度文脈を読むことができる間柄となった方、リア友やリア友同然になってるブログ友達、こういう少数の閲覧者を除いて、わたしの性格とか価値観とか信条とか生活とか、ましてや感情や情念に軽々に触れてほしくない。わたしも相手に対してそういう態度で臨みます。簡単に共感したりされたりしたくない。押し付けがましく理解や共感を求めたくないし、求められたくない。「わたし」と「あなた」の関係性が育まれる中で、自然と理解や共感が芽生えるのだと思うのです。どこの馬の骨とも知れない相手からのわたしの生き方への説教など、受容も許容もできません。論外です。やっぱり血も涙もないロボット女かな?ひひひひ。

※念のため。これはわたし自身のことについて述べているのであって、他の方が同じように感じたり考えたりすべきだということとは全く違います。

元記事 http://blogs.yahoo.co.jp/tonko_hard/42910802.html
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