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論考の予定二つ

今後何を書いて行こうかな?。何が書きたいのかなわたしは。
つーわけで予告です。

■「みんなちがって、みんないい」
「みんなちがって、みんないい」ということにコメントいただいてありがとうございました。ものすごく参考になりました。異文化交流議論を眺めながら色々考えてきたこと、もっと長い目で見れば、ブログを通じた交流や議論や衝突を経験して自分なりにつかみ取ってきたことを、「みんなちがって、みんないい」をキーワードに整理してみたいと強く思います。「みんなちがって、みんないい」とは何なのか、若干混乱していたのですが、個人の感情論のレベル、人間の集合体(社会)の道徳・規範つまり実践倫理学的なレベル、それらを俯瞰する哲学・宗教といったレベルにわけて考えなくちゃいけないと思いました。これらを一緒くたにすると話が噛合わないかなと。自分が関心があるのは、倫理のレベルでの「みんなちがって、みんないい」だと合点がいきました。で、これはわたしの考える「正義」考の道筋の一つだということも分りました。ロールズ「正義論」はちょっと放っておこうかと。。。

■説教族
「説教族」というのはちゃあじ子さんがカテゴライズした言葉(ですよね?)ですが、このカテゴライズの意義はとても大きいと感じています。ちゃあじ子さんのブログを訪れる方々の間ではよく使われる言葉ですし、最近の記事特異点コメント欄でも、わたりとりさんが「説教族の行動原理」について書かれています。
わたしは「説教族」の出現とは、インターネット上のコミュニケーションに特有の「現象」だと考えています。インターネットは空間・年代・性別などを超えて人と人とを緊密に結び付けてくれますが、一方で人間関係の距離感に錯誤をもたらし、ある傾向を持つ人々に、見ず知らずの人や関係の希薄な人への説教という、リアルではまず有り得ない行動に踏み込ませるのではないかと思います。その意味で、リアルでの説教好きなおじちゃん・おばちゃんが困ったとかウザイとか、そういうこととは別の話だと思います。その辺のことをちょっと整理してみたい。これはインターネットという新しい「社会」での倫理・行動規範はどうあるべきかという話で、「みんなちがって、みんないい」に通じる問題かもしれないと考えています。

★とは言うものの。。。ちっと疲れ気味なので、しばらくは論考じゃない記事が続くかもです。。。

元記事 http://blogs.yahoo.co.jp/tonko_hard/42550637.html
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