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「みんなちがって、みんないい」ということ

「わたしと小鳥とすずと」 金子みすず

わたしが両手をひろげても
お空はちっともとべないが、
とべる小鳥はわたしのように、
地べたをはやくは走れない。

わたしがからだをゆすっても、
きれいな音はでないけど、
あの鳴るすずはわたしのように
たくさんなうたは知らないよ。

すずと、小鳥と、それからわたし、
みんなちがって、みんないい。

         ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

「みんなちがって、みんないい」、わたしはこの詩がとても好きです。人間世界に限っても、他者や異文化に接するとき、「みんなちがって、みんないい」と思う。それでも、他人の言動に怒ったりする。批判や非難をするときもある。矛盾している感じがします。最近ずっと自分のことを分析中です。

「みんなちがって、みんないい」、これに類する考えをお持ちの方も多いだろうし、ブログ記事でも「みんなちがって、みんないい」的な言葉をよく見かけます。語られているのは、多様性の尊重、個性の尊重、文化多元主義、価値相対主義、寛容、共生、などなど。。。こういうことが語られるということは、現状がそうなっていないからだと思います。語っている人達は「みんなちがって、みんないい」と思っているが、そう思わない人か多数いるから、現状が「みんなちがって、みんないい」になっていないのでしょうか。しかし、こういったことを語っている人が、どんな人を目の当たりにしても、何を経験しても、眉毛一つ動かさずにそのまま受け入れているようには見えません。普通の人のように、批判したり、怒ったり、非難したり、皮肉を言ったりします。排除しようとしたりします。

考えなきゃいけないことは二つ。

[1]「みんなちがって、みんないい」、それは消極的なものなのか積極的なものなのか。
【消極的】ほんとはみんな同じだったり似てたりするのがいいのだけれど、それは有り得ないから、違っていていい。違っているのは当たり前で仕方ないから受け入れる。
【積極的】みんな違っているほうがいい。均質化の拒否、多様性の確保。

[2]「みんなちがって、みんないい」というのに、他者に怒ったり批判したりするのは何故か。
考えられるのは。。。
【1】「みんなちがって、みんないい」はウソ。ただのスローガン。本音は、正邪・賢愚・善悪・美醜・優劣の認定をちゃんとしている。
【2】ウソじゃないんだけど、修行が足りなくてつい怒ったり批判したりしてしまう。反省の毎日。
【3】「みんなちがって」の「ちがい」方に限度(範囲)があって、それを逸脱するものは認めない。例えば、「みんなちがって、みんないい」に反する考えは認めない、自分を攻撃するものは認めない、など。
【4】「みんなちがって」の「みんな」に限度(範囲)がある。例えば、年齢・性別・民族・国籍・宗教など属性によっては「みんな」の中に入れない、「みんな」とは特定の属性の中だけの「みんな」である、など。

一般論じゃなくて、「自分はこうだよ」というご意見がありましたら、ぜひ参考にしたいので、いくら長くなっても構いませんのでコメントしていただけると大変ありがたいです。

元記事 http://blogs.yahoo.co.jp/tonko_hard/42303501.html
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