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「自業自得」考

他人が困難に陥ったのを見て「それは自業自得だ」という人がいる。そしてここ数年そういう場面を目にすることが増えたように思える。それは、わたしがネットでの言説に触れる機会が増えたからなのか、社会全体に「自業自得」論が広がっているのかは判然としない。

これまでも、転載機能がらみで「自業自得」論や「自己責任」について意見を書いたことがある。転載機能が改善された今となっては記事の役割は大幅に減じているし、また当時の議論を知らない方には理解しづらい面もあるかと思うが、一例として、 「自業自得」とは。。。をあげておく。

わたし自身は他人に「自業自得だ」とは少なくとも今は言わない。その理由は、例えばYahoo!知恵袋での「自業自得では・・・」という質問とその回答を見ると、この言葉が「被害を招いた責任の全部あるいは一部が本人にある」「困難に陥った本人にも非がある」という意味で使われているように見えるが、このような「自業自得」という言葉の使われ方に違和感があるからだ。仏教用語である「自業自得」が本来の意味を離れて、狭量で非寛容な他者叩きに用いられていると感じる。わたしにはこれは極めて憂慮すべき風潮に思える。

日本社会の新自由主義的「改革」が進む中で、強者と弱者、「勝ち組」と「負け組」、富者と貧者の二極化が顕著となり、人々に有形無形のストレスが蓄積している。「自己責任」という言葉の連呼に煽られ、「勝たなくては」「転落したくない」と焦燥し、より弱い者・より負けている者・より貧しい者を叩くことでそのストレスを発散する。お前が弱いのは、負けたのは、貧しいのは、つまり困難に陥ったのはお前のせいだ。やや大げさと思われるかも知れないが、「自業自得」論が蔓延しているとするなら、その背景にはこういった事情があるのではないかと考えている。

物事には因果関係があるのは当然である。過去の大小の選択の結果が総合してその個人の現在を決めている。言うなれば誰のどの現在も全て自業自得だ。人生は自業自得だ。我が身を振り返って自業自得というのは、だから全く問題は無い。自嘲気味ではあるが、その言葉の裏側には過去の教訓から自ら学ぼうという意思が隠れているかもしれない。しかし、他人に対して言うのはわけが違う。ことさらに一つの事象を「それは自業自得」と言うのであれば、「これは自業自得ではない」という場合もあるということだろう。常日頃から他人に「それは自業自得」という言葉を発している方に、一体どういう意味でその言葉を使っているのかお尋ねしたいと思う。言葉の意味について認識を一致させた上で、例をあげて、それが「自業自得」であることを論理的に説明していただきたいと思う。わたしは逆の説明を試みる。できる限り客観性を保ち、また意思疎通を妨げないために、感情的な語句や不必要な形容詞や修辞を排し、誤解を招く可能性のある比喩を用いずに、ただただ論理的な説明に徹する、そういう議論に名乗りを上げる方はいらっしゃいませんか。

「自業自得であること」を論理的に説明できず、「自業自得でないこと」を論理的に説明できず、「それは自業自得だよ」と言い続けるのは、ただの無責任かつ冷酷な他人への悪口だとわたしは思う。


★これは必読!
口実としての「自己責任」論

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元記事 http://blogs.yahoo.co.jp/tonko_hard/39124180.html
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