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正義と多様性

いささか手垢にまみれてしまい「正義の味方」などと揶揄に使われるばかりで、素面で口にするには気恥ずかしいような、「正義」という言葉について真面目に考えたい。というか、いつも次の2点について自問自答している。
(1)正義とは何か。
(2)全ての個人、全ての各種人間集団に共通する正義とはあるのか。

雑駁な書き方だが、今のところわたしは次のように考える。

(a)各個人は同一なものではありえない。各人間集団も同一なものではありえない。したがって、仮に各個人・各人間集団が正義概念を持ったとして、それは近似することはあっても同一なものではありえない。各個人・各人間集団に固有の正義というべきものである。つまり特殊的正義だ。特殊的正義は、各個人・各人間集団が、歴史と風土の中で具備してきたもので、それは主張であり、実現すべき価値である。そういう意味で積極的なものである。
(b)各個人・各人間集団の特殊的正義が衝突することはありえる。例えば、この度のパキスタンの事態は暗殺者の正義と元首相の正義が衝突していたことを示している。どちらの正義が真の正義であるか、またはどちらの正義が重くどちらの正義が軽いのか、当事者も第三者も、超歴史的に、裁定することは不可能である。可能であるという客観的根拠はどこにも存在しない。つまり特殊的正義は等価であると見なさざるを得ない。
(c)特殊的正義の衝突をなんらかの方法で調整することは可能である。現に人間の歴史は各個人・各人間集団の衝突と調整の歴史である。調整を最も効果的に行えるものがあるとしたら、それは様々な特殊的正義より上位に位置づけられる原理ということになる。つまりそれは普遍的正義である。普遍的正義とは、歴史や風土からは相対的に独立し、特殊的正義を調整するだけのものである。そういう意味で消極的なものである。
(d)普遍的正義とは、(b)で示した各個人・各人間集団の特殊的正義を等価と見なすということを前提にして、特殊的正義の多様性を互いに尊重することでなければならない。多様性の尊重を保障するのは、暴力や経済力などなんらかの実力をもって、一方の正義を一方に強制的に押し付けないというルールだ。
(e)普遍的正義とは多様性の尊重であると考えるならば、それは常に「正義の多様性を認めない」ことを主張する個人・人間集団の特殊的正義からの攻撃にさらされ続ける。そして普遍的正義は、「正義の多様性を認めない」という特殊的正義も多様性の一つとして尊重しなければならないのかというジレンマに陥る。


「押し付けないということを押し付けるな」=「多様性の尊重という価値観を押し付けるな」という主張をどう考えるか。頭がグルングルンするけれど、来年はもっともっと考えていきたいと思います。ロールズの正義論を手がかりに、自由・公正・公平といったことについても勉強していきたいです。

■追記 参考記事
▼差別とヘイトスピーチQ&A(1)「差別する心」(Q1-Q2)
▼差別とヘイトスピーチQ&A(2)「差別する心」(Q3-Q5)
以上ナイジェルさん
差別に関する5つの質問
ちゃあじ子さん
◇神風を思う◇
◇自分たちの信じる観念を問い直す◇テロと正義◇
以上umi_ha_aoさん

■「正義考」書庫内記事
前書きで終わらないようにしたい。。。

元記事 http://blogs.yahoo.co.jp/tonko_hard/38777621.html
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