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2005年4月16日

渡打ち上げ

高田渡が北海道ツアー中に客死したのは、2005年4月16日。ずいぶん前のような気もするし、ついこの前のような気もする。渡さんとその音楽に出会ったのは2003年1月、生で歌を聴いたのは都合5回だけ、お話できたのも3回だけ。あ?わずか2年強で渡さんは想い出になってしまったんだな。

渡さんに出会ってわたしの中で何かが一変した。こういう人が実際に生きているのかと思った。

渡さんを聖人のように崇拝するつもりはない。二間の木造アパートに住んで、いせやでツケで飲み、清貧と言われたけど、貧ではあっても清であったかは怪しい。結構エッチだし。ただ渡さんは伝説になるくらいの酒好きではあっても、肝臓がやられていたのは確かであっても、病気としての「アル中」ではなかったと思う。本人や周囲が「アル中だよ」と言うことはあっただろうが、それは言葉のアヤというものだ。死の直後、ネットで「高田渡的生き方を崇めるのはアル中を崇めることだ」として猛烈にその人格をけなす文章を見た。反論を書いたがバカバカしくなってアップするのはやめた。自分の意思で酒を飲まない時期を作ることもできたし、依存症特有の症状を見たこともない。(と他の知人も言っている。ちなみに元アル中)

高田渡さんとわたしは生き方が全く違う。比べるのはそもそもおこがましいと言われそうだが、そうではなくて、著名人でも一般人でも同じこの社会に生きているのだから、対話(直接の会話に限らず、作品やパフォーマンスに触れることも対話だと思う)によって他者を知り、他者を知ることで自己を知ることにつながることもあるという意味で言っている。社会のどの場所を自分の立ち位置にするか、どういう角度で社会を見るのかが違う。しかし、「違い」が渡さんに引き付けられることの妨げにならない。表層のあれこれの「違い」を通り抜けて、もっと奥深い場所に渡さんの歌が響き染みわたってくる。わたしが渡さんが好きなのは、「自分に似てます」、「共感します」というのではないのだ。何が好きなのか、どう好きなのかはまだ説明できない。「高田渡が好きという自分は何者か」と問わなくちゃいけないから。それはそう簡単に答えが出てこない。渡さんの死後、映画「タカダワタル的」の掲示板で高田渡談義が盛り上がり、時に議論のようなことになっていたが、みんなそれぞれの高田渡でいいじゃないかと思う。みんなそれぞれ別の人間なのだから、どのように好きなのかは違っていて当然なのだ。


渡さんの亡くなった年の暮、ある小さなライブで「2005年4月16日」という歌を中川五郎さんが歌った。渡さんの亡くなったその一日のできことを淡々と並べた歌だった。歌っている五郎さんも会場のみんなも、こみ上げて来るものが抑えられない。五郎さんによれば、渡さんはお棺の中でギリシアの哲学者のような顔をして目をつむっていたそうだ。今これを書きながら「ブラザー軒」のライブ録音を聴いている。『ふたりには声がない ふたりにはぼくが見えない』という箇所で涙ぐんで歌声が詰まってしまうのを聴きながら、わたしもあの仙人のようで落語家のようで哲学者のようで子どものような顔を思い浮かべている。なんで「ブラザー軒」のときだけ渡さんはいつも半べそになるんだろう。
渡サイン

※ひょんなきっかけで、とんぼさんの高田渡さん生誕の地 という記事を読ませていただき、高田渡さんのことを書いてみたくなりました。感謝を込めてトラックバックしておきます。

■追記 2007/11/19
※語句を一部修正しました。
※いつまで見れるか分りませんが、youtubeに「ブラザー軒」の映像があったのでリンクを張っておきます。1999年7月日比谷野音での西岡恭蔵&クロちゃんの追悼コンサートだと思います。息子の高田漣さん、中川イサトさんと3人でのライブです。
http://www.youtube.com/watch?v=ZbHtQYjWHgw

元記事 http://blogs.yahoo.co.jp/tonko_hard/37864860.html
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