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名前の重さ

わたりとりさんがブログの更新を停止した。新しい小説は「わたりとり」ではなく、別の新しい名前で発信する予定とのこと。小説などの創作をネットで公開するとき、それとは相対的に別個の性格をもつ論考を同じ場で同じハンドルネームで行うのは、読者に多少なりとも作品への予断を与えるし、それが書き手の自由を束縛する可能性があるだろうとわたしも思う。だから、一抹の寂しさはあるものの、新しい名前での新作を気長にお待ちしたいと思う。

ネット上での「名前」、これについては人それぞれに様々な思いがあるだろう。たかが名前されど名前。わたし自身は、全ての表現が同じ「トンコ」の名前で発せられるのを望む。文章も絵も音楽もレシピもお遊びも。それを通じて自分が確かに存在していることを示したい。ある程度以上の自己顕示欲がなければ誰も公開の場でブログなど書かないだろうが、わたしはそれが過剰なのかもしれない。自己顕示欲というより、自己確認欲か?そうしないと自分がゆらゆら、ふわふわしちゃう。

ヤフー・ブログはわたしにとっては好都合な点がある。賛否や好悪は分かれるだろうが、アバターと名前アイコンでビジュアル的に「自分」を示せるのが、わたしはうれしい。ヤフー内に3つのブログがあるが、同じアバターとアイコンにして、どれも「トンコ」という同一人物であることをしつこく示している。同時に、他の方のアバター・名前アイコンもわたしにとっては重要だ。

だんだんに気がついてきたのだが、どうもわたしは、文字や言葉、特に人や物の「名前」を認識するのにワンクッションあるような感じがする。文字面を見ているうちに、文字が意味のないカタチに見えて不安になることもある。これでよかったんだっけって。とりとめもないことという記事でも書いたけど、いろんな点で「文字」「文章」「言葉」を使用する能力のどこかに何か欠損があるのかも知れないと感じている。だから疑心暗鬼になりやすかったり、ほのめかしや謎めいた短い言葉とかが大の苦手なのかもしれない。アスペルガー症候群ディスレクシアのことを知って、ちょっと思ったのは、今現在「障碍」と一般に認知されているもの以外にも、比較的軽微な、中々顕在化しにくい「障碍」は実は多いのかもしれないということ。言葉の能力もそうだけど、視覚・聴覚・味覚・嗅覚その他、世界を認識する(インプット)能力と、それを世界に返す・表現する(アウトプット)能力に小さな障碍があるのは珍しいことではないのじゃないか。それが性格・性癖や思惟のパターンに影響してたりして。そうなると、よく言われる「障碍も個性」というのはお題目じゃなくて本当のことなのかもしれないなんて思う。

話がややそれたが、だから、視覚の助けによって直感的に誰が誰だか分かるヤフー・ブログはいいな?ってこと。IDはいちいち読んでないし。だいたい読めないのも多いし、意味のない文字列にしか見えない。はてななどで、名前じゃなくてIDで呼び合うというのが、実を言うといつまでたっても違和感がある。

また話がそれるかも知れないが、ビジュアル化の利便性は広く認められていると思う。例えば紙幣や貨幣。一々額面金額を確認しなくても、肖像や色合いや大きさで区別できるようになっている。識字率の低い地域の選挙投票用紙がマークやイラストで選べるようになっているのもそう。交通標識だって読むというより見るものだ。だいたいパソコンのポインターとアイコンの仕組みも、コマンド読み書きより直感的に操作できて便利ということで広まったわけでしょ。それに、そもそも文字そのものが最初は象形文字=アイコンが元になっているわけで。あれ、何が言いたかったんだっけ??

話がそれまくったままでまとまらないが、ネット上の名前という問題については、白田秀彰氏が書いている、「発言の誠実さを担保するネット上での名誉」、「匿名・実名」問題とも関連して、ネット社会を成熟させていく上で重い問題だと考えている。そのへんのことについてはいずれまた。

元記事 http://blogs.yahoo.co.jp/tonko_hard/37647564.html
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