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現時点で言えること

「やはり言っておかなくてはならない」という記事は、medulla_020さんがわたしの記事にmedulla_020さんへの悪感情を見て取り、それを返しているとわたしが錯覚したことで書いたものだ。ややこしい言い方になるが、要するにmedulla_020さんが先に錯覚してわたしを攻撃しているとわたしが錯覚したのだ。見えない影に怯えて吼える、やはりわたしはビョーキということだろう。あらためてmedulla_020さんとその読者の方にお詫びいたします。

■馬鹿げていると思われるのを承知で、わたしの錯覚がどこから来たのか書いておきたい。
前の記事にも書いたように、「芸術」や「芸術家」に関しても、その他のものごとに関しても、考え方や価値観が人それぞれに異なるのは当然だとは思っているので、それだけで悪意や敵意を感じとるということは多分ない。わたしの「食うべき詩」という一連の記事と、最近のmedulla_020さんの記事やコメントの内容が、妙にタイミングがあっていると感じてしまったことが錯覚の原因だろう。例えば「世界は豚小屋で屠殺場」というタイトルの激しさや、その中で出てくる「きみ」に反応した。「少女愛など」コメント欄での「自分勝手な分析屋」も唐突だと感じ不審に思った。たまたま、このブログのmedulla_020さんの訪問者履歴が消されているのを見て疑念が強くなった。履歴が残るというシステムも考え物かも知れない。

「芸術家?世界を内面化する人」 というmedulla_020さんの新しい記事を読ませていただいた。わたしのそれとは大きく異なる考え方が示されていると思う。しかし、繰り返しになるが、「芸術論」や「芸術家観」が異なっていたり対立していたりしても、それが直ちに「敵対」につながるとは考えていない。

■あまり芸術論は得意ではないし、まとまったことを言える段階ではないのだが、medulla_020さんへの返答として極々簡単に書いておく。
わたしは芸術を措定しない。芸術も芸術家も「無い」ということだ。つまり人間全て芸術家ということでもある。「これが芸術であれは芸術ではない」、「彼は芸術家で彼女は芸術家ではない」とする合理的な根拠があるとわたしには考えられない。豆腐を作って売っていれば自他ともに認める豆腐屋さんだが、それと同じように芸術家というものを他と区別してはっきり示すことができない。時間的・地理的に限定されて、人々に一般的に認知される芸術・芸術家が存在することは理解する。それは「カッコつきの芸術」であり、「いわゆる芸術家」だと思う。芸術と芸術でないものを区別する線は一人一人が引くのだが、最も太い線を黒々と引くのは「芸術家」自身ではないかと感じる。それに対する反発心は確かにわたしの中にある。
アルタミラの牛を描いたのはどんな人なのか、これをもっともっと考えていきたいと思っている。
「反芸術」運動はもちろん、ポップもキッチュもキャンプも、芸術や美学の枠組みの中にあると感じる。芸術や、美・善・真を措定しているからだ。

■敵対しているのでないのなら、あらためての和解もない。
medulla_020さんは自己に誠実であると強く感じる。自己に誠実でなければ他者に誠実であることはできないとわたしは思う。内面を執拗に見つめることの無い人は、外界とイージーな関係しか持てないと思う。
おこがましいとは思いますが、medulla_020さんに対してそんな印象を持っていることを最後に記しておきたいと思います。

元記事 http://blogs.yahoo.co.jp/tonko_hard/37547315.html
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