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寂しいな?。でもしょうがない。。。

わたし自身も更新が滞りがちな時期もあるのですが、このところ次から次へと交流があったブログがお休みや更新停止となっています。何を隠そう(隠してないか?)人とベタベタしがちなわたしとしては寂しいかぎりです。ここで、ぐっとこらえて「さよならだけが人生さ」とサラっとしていなくては、一人前のブロガーにはなれないのかもしれません。。。( ´△`)アァ-

まぁ、どなたも完全に「さよなら」ってわけじゃないと信じたいです。


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ガクッとした気持ちを跳ね返すのにちょっとぶち上げるぞ。小説書くのを構想しているんですよ!!わははのは!!あくまでまだ構想ですけど。習作も少ししたけど。

寛正年間(室町時代)備中国新見荘に実在した、たまがきという女性が主人公。

当時の新見荘(領家方)は備中守護細川氏の家臣安富氏の支配化にあったが、荘民の一揆によって安富排斥と本所兼領家である東寺からの直務代官派遣が実現した。代官として新見荘に赴任した東寺の僧祐清は、現地の百姓の期待とは裏腹に冷徹な年貢取立てを行なう。豊岡という者の名主職を取り上げたことから、その一族が地頭方の有力者たちとともに祐清を殺害するという事件が起きる。領家方の荘官・百姓達は報復のために地頭方に合戦をしかけ、地頭方政所を焼き払う。地頭方の領主は幕府管領細川氏と関係の深い相国寺であり、放火はただでは済まなかった。。。

現地の荘官は田所金子衡氏、公文宮田家高、惣追捕使福本盛吉、合わせて三職と呼ばれる。たまがきは福本盛吉の妹だった女性で、祐清の身の回りの世話をしていた。彼女は祐清が殺害された後、東寺宛に手紙を書き、遺品の目録とその処分について報告しており、その手紙は国宝「東寺百合文書」の中の「たまがき書状」として現存している。手紙の最後に、「一しろいこそで一 一つむぎのおもて一 一ぬのこ一 これ三の事ハゆうせいの かたミにもみせられ候ハば いかほど御うれしく候」と書かれていることから、たまがきの祐清にたいする情愛が偲ばれる。

代官と現地荘官・百姓の軋轢、荘官と守護勢力の駆け引き、応仁の乱前夜の備中守護細川氏と隣国伯耆守護山名氏の関係といったことが縦糸。高慢で冷酷でずるい人=「感じの悪い男」を慕ってしまうたまがきの心が横糸。こういう構想なんだけど、調べることがありすぎて全然進まない。現地調査はもちろんしなくちゃいけないし、衣服・住居・食生活などデティールにこだわり始めるともう何もできなくなる。。。死ぬまでに書ければいいか。きしし!!


元記事 http://blogs.yahoo.co.jp/tonko_hard/35788743.html
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