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思い出話

思い出話を一つ。小学生の頃、いじめられっ子っぽい子とちょっと仲が良かった。わたしはいわゆる「いい子」だったので、いじめられっ子をどちらかというとかばううことが多かったのだ。いじめは許せなかったし、それが優しいということのつもりでいた。

ある日その子といつものように下校途中、細かいいきさつは忘れたがその子をからかった。そうしたら、普段はおとなしいその子が猛然と掴みかかってきて、取っ組み合いのケンカになってしまった。わたしはその子のランドセルのベルトを引きちぎってしまって、その子は泣きながら走って行ってしまった。

わたしの心にあった気持ちをはっきりと言葉にすれば、「普段かばってあげているのに、ちょっとからかったくらいで掴みかかってくるなんて、生意気だ、恩知らずだ」ということだ。そのときはそう思っていた。

でも、後から考えたのは、わたしがその子をからかったことが、普段の他の子のいじめや蔑みよりもその子にとっては辛かったのかも知れないということだ。わたしの心の中にあった「かばってあげている」という気持ちは、「この子はいじめられっ子だから、いじめられたりからかわれたりすることに慣れているのだ」=「いじめられているのが普通なのだから、わたしもちょっとからかうくらい当然なんだ」という優越感だったのだ。それをはっきりと知らされてしまったことが、その子を傷つけ怒らせたのだと思うようになった。わたしはいじめっ子よりもその子を傷つけた。それに気づいたとき、申し訳ない気持ちでいっぱいになったけどきちんと謝ることもできず、関係は修復できないまま、その子は転校してしまった。

人間の心は単純ではない。悪意も善意も、敵意も好意も、単に黒白すっきり分かれているものではない。ましてや碁石のように一つ一つの悪意と善意が等価で等分なものとして存在することはありえない。白だったものが黒になり、黒の石一つが白百個に相当してしまうこともある。

人の心の不思議さについて、多分わたしは戸惑い悩み続けるだろう。失敗を繰り返しながら、他人との関係について、それから自分の心のありかについて考え続けるのだろう。

元記事 http://blogs.yahoo.co.jp/tonko_hard/29920963.html
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